ブリトーからの異文化交流
アメリカで大学生をしていた頃、毎日のように学校の目の前にあるメキシカンのファーストフード店でブリトーを食べていました。貧乏学生だったので、ボリュームがあって安くておいしいブリトーは本当生きる糧でした。
先日、どうしても懐かしの味が食べたくなって私の知り限り日本で唯一ちゃんとしたブリトーを出すお店にランチ行ってきました。
お店についてブリトーをおいしく頂いていると、アフリカ系アメリカ人の方が入店。声を掛けて自己紹介をして、ブリトーにかぶりつきながら会話が弾みます。彼は韓国の車メーカーの現代で車のデザイナーをしていて、昔はマツダでデザイナーをしていて広島に住んでいたいて日本が懐かしくなってバケーションで東京に来たとの事。
会話を楽しんでいる内に、今度は白人のアメリカ人がご来店。ふとしたきっかけで、この彼も会話に入り、色々な話をしました。
アフリカ系アメリカ人の彼は貧困層出身で、子供の頃新聞配りのバイトをしていると、麻薬の売人から新聞配りをする10倍麻薬の売人になったら稼げると言われても、悪い道には行かず、絵を描く才能を活かす為にバイトをしながらデザイン学校を卒業して、マツダ、フォード、現代と言った名だたる車メーカーでデザイナーをするまでにのしあがった。
白人の彼は大学生の時ゴルフ場でバイトをしている時に、芝生を作る事に魅せられて、それからゴルフ場の芝生一筋。日本に来たのは、もう数年で仕事をリタイヤするのを考えた時、アメリカとは全く違う日本に来て、元気な内に仕事を楽しみながら、違う文化にも触れてみたい。
彼らとの会話はただのお喋りではなく、お互いのライフストーリーをシェアする物でした。肌の色も、育った環境も、全てが違う彼と人生について語り合えたのも、英語というツールがあったからです。
英語が話せる事その物は特別な事でもなんでもない。私が英語が話せるから話せない人よりもできる人間な訳ではありません。ただ英語が話せたから世界中の人と想いをシェアし、共有する事ができるのです。
もっと沢山の日本人に私が体験している、世界中の色々な人と繋がるこの感覚を体験してもらいたい。だから私は英語を教え続けます。